私が走り出したのは10歳のときです。地域の小学生陸上競技交歓会で、1500mに出場しました。
毎日タイム計測
5年生のときは5分27秒、6年生のときには5分13秒が自己記録でした。小学校の顧問の先生が熱心に指導をして下さいました。子どもたちと一緒に走って、毎日記録を計り、折れ線グラフにして伸びを確認しながら、楽しく走ってました。
顧問といっても専門家ではなかったので、ただ準備運動をして記録を計るだけでした。走り込みとかインターバルなどはやらずに、毎日1500mを計ってました。
練習をしていく中で、皆と同じ内容のものを行っても、自分は疲れにくいと感じるようになりました。記録もどんどん伸びるし、そのときに同時に行っていた少年野球やハンドボールよりも、自分に向いていると思いました。
冬には、駅伝交歓会がありました。そこで、チーム優勝を果たすことができました。このことがきっかけで、中学校でも陸上競技を続けることになりました。
中学で
そして中学のときの顧問の先生が現役の長距離選手で、今は廃止されてしまった東日本縦断駅伝(青東駅伝)の県代表でした。
先生が青森に出発する朝、生徒の皆で駅に集まって、先生を見送りました。ナイキから提供された、あざやかな青色のジャージを着て、トランクより大きいようなバッグを持って移動する先生を見て、ものすごく感動しました。本当に、涙が出るほどだったことを覚えています。
そして自分もいつか、青東駅伝に出るんだ!と心に誓いました。
実際に出場したのは、それから9年後になりました。(…つづく…かもしれません。)